経済行為と時間

ほとんどの経済行為は時間を買うということに還元されると考えた。

スキーの講習会があり、自分は少し自宅をスタートする時刻が遅れた。
朝食をとる時間もなかった。まず高速道路にのろう。砺波から富山まで乗れば早い。途中でコンビニによっておにぎりやお茶を買おう。それをスキー場についたら食べることにする。
高速料金を支払う、おにぎりをコンビニで買う。これらは経済行為であり、自分はサービスや製品をお金を支払って購入した。つまり経済行為をした。ここでふと考えた。つまり自分はいったい何をお金を支払って、お金というものと引き換えに得たんだろうか?と。その得たものの本質はナンだと。

経済主体が自分だけなら、下道で車を走らせ、そしておにぎりを自分でこしらえる必要がある。おにぎりは一から作るということを考えると、米作をする必要があるし、高速道路などというと、それこそ大変だ。しかし、もし、時間の制約をはずして考えると、それは自分だけでもしかしたらできないことではないかもしれない。自分の時間が無限にあるなら、それらの財やサービスは自分で生産可能である。しかし、そうではない。だからこれらの財やサービスの生産をアウトソーシング(外注化)しているわけだ。そしてアウトソーシングの成果物を購入するわけだ。

これが経済行為の本質のひとつなのではないか。別の角度からいうと、経済行為はすべからく「時間を買っている」ことに同値だ。そして経済行為とはアウトソーシングと裏腹な関係にある。われわれはすでに自分で生産し、自分で消費する時代にいない。
時間という概念はキーだ。

自分は、時間を買った。高速道路のサービスに支払いをたて、とおにぎりを買うことで時間的「余裕」を買ったのだ。その時間はスキー場についてから、消費される。
とくにサービスを料金を払うときの意味や本質がよく理解できる。それは間違いなく「時間を買っている」のだということ。
「時間」とは買うものなのだ。お金の使い方やお金に対する意識も変わってきそうな・・。