共存の思想

 共存・・・それは、他人の喜びを自分の喜びとし、他人の悲しみを自分の悲しみとすること。以前何かの本で読んだのか、あるいは家人から聞いたのか忘れましたが、家族が病気になったり怪我をしたりしたとき、それは多分自分の身代わりになってくれているのだという思いをすれば、やさしくなれる、という考え方を知りました。
 具体的には、自分が被っていたかもしれない災厄をかわりに背負ってくれていると見ることで、より一層強くなる。より広く考えれば「他人の不幸は蜜の味」とはよくいったものですが、それとは正反対の見方なんですね・・・。他人の不幸はまさに自分の不幸「だったかも」しれない・・・と考える。しかしながら、そうしたらあまりにも思いが辛くなるし、これは身内の範囲にとどめておいたほうが精神衛生上の保全につながるかもしれないですね。

 また幸福についても同様のスタンスが取れると思います。つまり自分以外の、例えば身内の喜び、あるいはもっと広げて他人のラッキーや喜びや能力の発現を素直に自分の喜びとして捉えることにもなる・・・。その喜びは自分の成果でもあった。そこには嫉みの視点がまったくなく、心の芯から他人を寿ぐ。こちらは身内とはいわず、よりよく拡大解釈していったほうが、ポジティブな方向に踏み出すエンジンになる発想につながるでしょうね。自分の幸福が他の場所で実現化していると思う結果、それを口惜しいというのか、その幸福も自分のこととして喜んで受け入れていくのかの違いは大きい・・・。共存の思想の根本は二人の間で喜びは倍増し、悲しみは半減することにあると考えます。
 このように、そうした発想を延長していくと、今度は自分におきた幸福や不幸はどう解釈可能です。多分、これも自分のみの殻の内側で起きていることでなく、(本来)誰かのものを頂いたり、身代わりになっていたり・・・という「交換」の文脈で理解されることになるでしょうか。