模倣と学習プロセス

 模倣と学習プロセスについて考えた。着想は、こうだ。最近カタログ雑誌でインテリアの特集とかをみていて感じた。それを実現したいと思うなら、そのとおりのモノを取り揃えてしまえばいいのだ。デザインなどで悩む必要は全くない。そのとおりにまねてしまえばいいだけのことである。写真にあるように、写真を雑誌から切り取り、同じレイアウトで同じような家具を取り揃える。それだけで写真のようなインテリアが再現できる。最近見ているガーデニングもしかり。キレイな配置や植栽をそのまま真似てしまえばいいのだ。レイアウトや設計に頭を悩ませる必要なく、写真のように美しい庭になるはずである・・・。ところが、この「模倣」という行為に、これまで潜在的に遠慮がちだったのは何かそこに自分のオリジナリティを加味したいという欲望があったんだろうと思う。自分らしさ・・・のようなものか。それを一滴加えたいがために時間を浪費して頭を悩ませていたのではないのだろうか。設計やデザインは時間を節約するために専門家の知を活用すればいいのだ。それで誰もが同じインテリアになってしまうものでない。参考にする写真は雑誌に数え切れないくらいあるのだ。ブログのテンプレートからデザインを選び、多少のカスタマイズをするようなものである。この行為自体は「編集」に近い。
 さて、学習プロセスのほうだが実はこの「模倣」という作業は簡単でない。猿真似とは外見のみを真似るあさはかな行為をいうことが多いが、「再現性」を確保するレベルまでに至るには相当の習熟が必要になる。模倣を真剣に行うことは、その行為で多くの暗黙知を含めた吸収を行うことになる。武道の「型」の修練もこの点に通じるのだ。